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●2009.05.29・・・・フリークライミングは山行に入るかどうか、、、悩み。 |
山人ではフリークライミングをする人が結構います。
フリーは自分のレベルが上がって行くのが数字で見えるので、楽しいものです。
もちろん思うように登れない時は苦しかったりもしますが、、、
私たちの山の会「山人」では、山登りのトレーニングとしてのフリークライミングをします、と
位置づけています。
山人は山登りをする会であって、フリーの為の会ではありません。
でも、会の山行としてフリーをやることもあります。
山人のメンバーには、山とかフリーとか以外にも趣味を持ったメンバーがいます。
ランニングであったり、トライアスロンであったり、短歌であったり、太鼓であったり、、、
山人の例会山行にはできるだけ参加してくださいとしていますが、
家族の都合、仕事、町内の行事、その他の事情で参加できない場合は
もちろん参加しなくて結構です。
あまり山に行きたくないも「あり」です。趣味の会であって仕事ではありませんので。
そして、その理由には山以外の他の趣味もOKだと考えています。
ただ、例会山行がある日に、個人的に他の山に行くのはあまり好ましいとは言えません。
もちろん会のメンバー以外の個人的な付き合いのある人との約束などでは止むを得ませんが。
その好ましくない範囲にフリークライミングを入れるものかどうか、、、
山人では山登りのトレーニング゙としてのフリークライミングをしていますが、
コンペに出たりするためのフリーは会としては志向していません。
会の山行があるときに、フリークライミングに行くことは
山とは関係のない趣味と捕らえていいものかどうか。
もちろん会の中でのその人の立場もありますので、一概には言えないでしょうが、、、
少なくとも会のリーダーとしての自分自身は、
会山行がある日にフリークライミングに興じることは
しないようにしようと考えています。
趣味の音楽の用事とかがあれば、自分が山行のリーダーでなければ
コンサートなどを優先するかもしれません。
それはいいと自分では判断しています。
山に登る手段として発達してきて、現在はまったく別のスポーツではありますが、
現在も、山に安全に登るための手段とか訓練としてのフリークライミングの必要性、有効性は
変わらないものです。
さて、そのフリークライミングを山の会としてはどう位置づければいいものか、、、、
そんなに生真面目に考えなくてもいいじゃん!
と言われそうですが、自分自身の行動の線引きとして納得できるものがほしい、
そんな事を思ったりする今日この頃です。
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私たちの山の会「山人」のリーダー要員に向けての講習会を先日行いました。
多良山系の鹿島市側の麓である平谷自然の館と言う施設をお借りしての座学でした。
参加者は、今年度(昨年6月〜今年5月)リーダーを務めた、みーすけ、mimimama、
Jimnyに加え、来年度リーダーをお願いする予定のクニさん、アトムの5人です。
技術的な講習ではありませんでした。
山人のリーダーに求められるもの、、、、
経験、技術、知識、そして一番大事なもの、人間性。
山人のリーダーとして、担当する山行をどんなものにすればいいのか?
まず安全が第一です。そして楽しい山行にしたいですね。
もうひとつ、参加メーバーひとりひとりにとって有意義な山行にすること。
できればそうありたいものです。
山に行ってきた。楽しかった。終わり、、、、
それでは仲良しクラブと同じです。
私たちは目的を持って山の会を作りました。
メンバーひとりひとりが自立した登山者となるために、と言う目標を掲げています。
もちろん個人の個性がありますので向き不向きはあります。
ですがその意識を持つことが大事です。
リーダーはその意識付けへの働きかけの役目も負っています。
山人は山での時間を同じ思いで共有できる仲間作りを目指しています。
はっきり言って今時嫌われる濃い関係を目指していると言っていいでしょう。
でも濃い関係にならないと、声もホイッスルも通らない場面で、
相棒の安全なんて確保できません。
そしてそんな濃い関係を持つ仲間だからこそ実現できる山行もあるのです。
山から帰った後、その共有した時間がツアー登山では味わえない思い出となって
残る事は間違いありません。
山への思いは私と同等かそれ以上のものがあるメンバーが山人にいます。
でも私から言わせれば少し山への思いがずれています。
山に限らず趣味の世界は、素の自分自身で楽しむものです。
飾る必要はありませんし、競う必要もありません。
先日の講習会の席で、一応講師役の私は言いました。
山に向かうときは素の自分で登ろうぜ!
きっと私の思いはずっと以前から伝わっているのだろうと思います。
もっともっといい山の仲間になってくれるはずです。
私に会のリーダーとしての技量と度量があれば、、、
山人はそんな濃い仲間で山に登っています。
でも先日残念なことがありました。
山人のことではありませんが、歴史のある山岳会で頑張っている知り合いが
自分の会に誇りを持っているのかな?
ちょっとそんな風に疑問に思ってしまうような山行をしていたのです。
詳しいことはわかりませんが私は悲しくなりました。
自分の会に誇りを持ってもらいたい。
そんな伝統ある山岳会に席を置いている自分自身に誇りを持ってもらいたい、
そう思いました。
登れる山のレベルは大したことがなくても、
山人のメンバーが、「私は山人のメンバーです!」と胸を張れるように
そんな山の会にしたいと私は思っています。
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●2009.05.25・・・・行きたい沢 |
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今年は最近になく体に力が漲ってくる感じがあります。
もしかしてローソクが燃え尽きる直前に明るくなる・・・・それでしょうか???
ちょっと心配です。
山登りを続けてきて、そんなに賞味期限が残っていない今日この頃。
やり残した山は?沢は?
あと何本かの沢があります。
屋久島の沢ももちろんですが、黒部にあと1本、自分の体で感じてみたい沢があります。
今年か来年、なんとか訪ねてみたいものです。
自分の力量ではとても登れる沢ではないので、プロの力を借りて行く事になるのでしょうが。
もう一度ガイドの志水哲也さんと沢の時間を共にできれば、こんな幸せはありません。
実現できるかどうかわからないその夢に向かってボッカを始めようと思います。
以前、夢の山行に向かってボッカに汗を流した時のように、、、、 |
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5/17・キリシマミツバツツジを見に行きました。
2001年5月に初めてこの花を見てから、何度か目にすることがあったのだが、
いつ見てもその豪華な姿には感動を覚える。
今回は、雨の予報の中を長崎から出てきた。
私たちの山の会の新人男性も一緒だった。
お手軽なコースではあったが雨と強風の中を歩いて
キリシマミツバツツジに会うことが出来た。
「花を見るために山の登るというのは初めてだった」と彼は 帰りの車中で話した。
そういえば私自身も山岳会に入った当初は、
春ともなれば毎月毎月花を見るための山登りばかりで、
花にはあまり興味のなかった(今もですが・・・)自分には
ちょっと退屈だったものだ。
今も花の名前を覚えたりすることは苦手だし、
覚えようとも思わない。
そこにあるキレイな花を「ああ、キレイだな。いつまでもそこで咲いていてほしいな」
そう感じる心さえあれば自分にとっては名前なんてどうでも良いような気がする。
花好きの人から見ればちょっと違うのでしょうが、、、
新人の彼もデジカメで画像を撮りながら、「キレイですね」と言っていたので
「山人」ではこんな山登りもするんだよ、
そう理解してもらえたのではないだろうかと思っている。
雨の中のキリシマミツバツツジは、しっとりとしていてとても素敵でした。
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●2009.05.10・・・・美味!ドロ様パスタ |
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金曜日はアリーナで目一杯クライミングして、
土曜日は野岳でまたまたクライミング、、、、
いい加減指皮が痛くなりました。
そんな時、福岡の息子夫婦が遊びに来ました。
私の実家がある西海市まで一緒に
ドライブしました。
途中にある「道の駅夕日が丘」の近くの
「遠藤周作文学館」内のレストランで
パスタを食べました。
地元の特産に「ドロ様そうめん」
と言うのがあるのですが、
そのパスタ版「ドロ様パスタ」を食べました。
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もちもちした食感が美味しかったです。650円はとてもリーズナブルでした。
画像はその文学館から見た五島灘です。
前夜、私とmimimamaさんには悲しいことがあったのですが、
きれいな海を見て少し元気になりました。
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「大崩山今昔」というタイトルで以前この徒然記に書いた記憶があるのですが、
探してみてもそんな記事は見つかりません。
今回の大崩山でも、以前感じたことを一層強く感じたので、
同じような内容になるとは思いますが、書いてみます。
私にとっての大崩山は、祖母山などと同じようにまなじりを決して向かう山でした。
充分な体力を付けて、きっちりとした計画を立てて、
必要十分な装備を揃えて、非常時の想定も抜かりなく行って、
やっと登山口に立てる・・・・そんな大きな山でした。
そんな大崩山は今も何も変わる事なく、
以前と同じように厳しく大きく深い山です。
変わったのは登山者の方です。
私が大崩山に通い始めるようになった頃は、
登山者の多くは山岳会のパーティーでした。
そして、その多くは大崩山荘の近くのテン場にベースを張っていました。
テントの大きさやブランド、服装やザック、装備などを見れば
山岳会のパーティーなのか、そうでないのかはある程度わかります。
今回は入山日は、山荘前にはテントが一張りあっただけで、
他には見当たりませんでした。
我々が下山する日には、モチダ谷に山岳会らしきパーティが一組。
他にも吐野や山荘前にかなりのテントが設営されていましたが、
山岳会と思えるものはありませんでした。
山中で出会った登山者の背中のザックはそのほとんどがディバック。
コンパスを見ながら歩いていると思える登山者は一人見かけることができました。
我々は危険な箇所ではすぐに対応できるようにと、
メンバーはシュリンゲを肩から掛けて行動しました。
そして実際にそれを使う場面もありました。
我々のほかに、シュリンゲを掛けているパーティーには出会いませんでした。
世の中、多数が正しいとすれば、私たちの山の会は過剰装備でしょうし、
安全に対して過敏なのかも知れません。
山は楽しいです。
楽しみ方はいろいろです。
いろいろな楽しみ方がある中で、私はオチャラケに楽しみたくはありません。
きちんと山を楽しみたいと思っています。
きちんと登る人にも、オチャラケに登る人にも、
登山は同じように危険が伴うものです。
最近、私たちの「山人」に、
山の世界では若い30才台の青年が続けて3人入会してきました。
「山人」を選んだことには、彼ら自身の中に何か理由があるものと思います。
昨日の大崩山からの帰路、車中でメンバーと話したのですが、
「山人」は、会員に合わせて会のあり方を変えるような事はしない。
「山人」に合わない会員は、自分に合った他の山の会を探せばいい。
「山人」は、会のポリシーを忘れずに、きちんと山に登る山の会であり続けよう。
そんな、原点を見つめ直す熱い話ができたのも、
きちんと山に登ることを教えてくれた大崩山の帰りだったからかも知れません。 |
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