【Jimny徒然記】 2005年12月

 このページでは、私Jimnyの周りで起こったことや、
    日々感じたこと思ったことなどを徒然に綴っていきます。
    なにか不適切な表現や、間違った記述などがありましたら、ぜひご指摘ください。



【目次】

2005.12.31・・・・氷壁
2005.12.29・・・・レッドポイント
2005.12.25・・・・野岳・敗退
2005.12.23・・・・雪の金泉寺
2005.12.19・・・・お帰り!
2005.12.07・・・・普賢岳の思い出

2005.12.31・・・・氷壁

今日のAM11:30から、NHKで来年放送予定の
「氷壁」の番組案内があります。
山野井さんも登山指導を担当されたそうです。
彼のコメントによれば、「登山のシーンが出てくるドラマって、
どこかで必ず笑っちゃうんだよね。でもこのドラマは
登山にかんしてはがんばったんじゃないかな。
登山者が見て『こんなことあるわけないよ』っシーンはない・・・
というか、そう願ってます。」と語っていました。

原作は穂高岳ですが、今回は舞台を「K2」に移し、
原作のナイロンザイルはカラビナに置き換えられて
ドラマは進行するそうな。
玉木宏君と山本太郎君が熱演しているそうです。

来年の楽しみがひとつ増えましたね。



2005.12.29・・・・レッドポイント

東北に長期出張中の「プルージックしげさん」が帰省しました。
今日が非番だった私は、さっそく彼を誘って野岳に行きました。
もう正月休みに入った人たちでそこそこ野岳はにぎやかでした。

アップに「ミスター礫」と「アンダーツウアンダー」を登って
今日は落とさねばならない「東ルート」に向かいます。
今日落とせなければ、mimimamaさんから家には入れてもらえません。
命がけです・・・・・
いやらしい出だしもムーブが決まり、なんだか行けそうな予感が・・・

途中のテラスで大レストをして、
「行きます!」とビレイヤーのしげチャンに声を掛けます。
右手を出してカチを取ります。
足の位置を変えて左手でサイド気味のカチを取ります。
もう一度足を踏み変えて右手で棚状のホールドを持ち、
左手に持ち替えて右手でクリップ。

足の位置を変えて手を左に寄せて行きます。
左手で左側のガバを掴み、足を上げて一段上のガバを取ります。
右足でヒールフックを決めてクリップ。

足を決め直して上のガバを取ります。
次は終了点だ。
後は、ガバの連続なので足をしっかり決めて登れば大丈夫・・・
よし、落としたぞ!
そう思って次の一手を出したときに、
なんだあ・・・・?

落ちてました、、、、

こうして今日の最初のトライは失敗しました。

その後、なんとか落とすことができたのでヤレヤレでした。

都合、二日目で5撃でした。
やっと、これでmimimamaさんに追いつきました。
ちゅうかあ〜、家に入れてもらうことができました。ハイ・・



2005.12.25・・・・野岳・敗退

今日はアトム、mimimama、Jimnyで野岳にクライミングに行きました。
私は久しぶりの野岳でした。
寒かったのであまり人はいないだろうと思って出かけたのですが、
なんのなんの、、、、、、順番待ちの状態でした。

今日は地元長崎の若手のクライマーたちをはじめ、
福岡山の会のメンバーやピナクルの人、スバルの常連さん、などなど。

「山人」の熟女コンビは、
今日「東ルート5.11b」をめでたく揃って落としました。
私も3回トライしてみましたが、3回とも取り付き敗退でした。トホホ



2005.12.23・・・・雪の金泉寺

雪の金泉寺まで登ってきました。
ここ多良山系でも滅多にない積雪量で、
楽しいスノーハイキングでした。
金泉寺には、雪が似合います。



2005.12.19・・・・お帰り!
東北に長期出張中の「プルージックしげさん」が長崎に一時帰還しました。
一杯飲もう!ということになり、我が家に親しい仲間が集まりました。
もちろん、食い物・飲み物・シュラフ持参です。

昼間は、小雪がちらつく寒さの中、久しぶりのアリーナで一緒にクライミングを楽しみました。
出張先ではクライミングができる環境にない「しげちゃん」は、ほとんど3ケ月振りのクライミングで
感を取り戻すのに苦労していたようです。
2月いっぱいで長崎に戻れるとの事ですので、ちょうど暖かくなる春先からまた一緒に登れることでしょう。

夜は、「しげちゃん」と同級生の山人メンバーが集まり、
アリーナの動画を見たりして楽しい時間を過ごしました。

昨日私の携帯に「しげちゃん」から、「今電車の中です・・・」と、福島への車中からメールが届きました。

お互い、春まで真面目に働きましょう!


2005.12.07・・・・普賢岳の思い出
今日は、雪を見たくて雲仙に行ってきました。
雲仙には、平成新山の噴火前にもよく登っていました。
噴火前の事ですが、今は成人してしまった子供たちと普賢岳に登った時、
長男が山頂の石の下に10円玉を隠しました。

今度登ったときに持って帰ろう・・・・そう、長男は思っていたようです。
それから普賢岳に登らないまま、平成新山が噴火してしまい、
普賢岳も登山禁止になってしまいました。

そうこうしているうちに、子供たちは成人して家を離れて行きました。
普賢岳の10円玉はそのままのはずです。
登山禁止が解除になった後、私は何度か普賢岳に登りましたが、
10円玉を隠した石がどれだったのか、今となってはわかりません。

いつか大きくなった子供たちと普賢岳に登る機会があれば、家族総出で探してみたいと思っています。
その時は、ひょっとしたら子供たちの子供たち、孫たちも一緒かも知れません・・・・・

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