Jimny徒然記 2009年2月

 このページでは、私Jimnyの周りで起こったことや、
 日々感じたこと思ったことなどを徒然に綴っていきます。
 なにか不適切な表現や、間違った記述などがありましたら、
 ぜひご指摘ください。


            *これ以前の徒然記

【今月の目次】


●2009.02.21・・・・今週末も山には行けない私です、トホホ
●2009.02.11・・・・経ケ岳南壁・つわものどもが夢の後
●2009.02.10・・・・2/8雲仙牛首岩
●2009.02.01・・・・オサイ観音

●2009.02.21・・・・今週末も山には行けない可愛そうなわたしです、トホホ
   
いつの間にか家族が増えている。

北海道に住む次男坊のお嫁さんから正月にみんなが我が家に集まった時の写真が送ってきた。

女房と二人で始めた生活から、息子二人が育ち、それぞれに可愛いお嫁さんが来てくれて
孫とか言う生き物が二人、、、、、(もうすぐ三人)

その写真の真ん中に自分がいるなんて。
もうすぐ早死にした親父と同じ年齢になる自分。

明日あさっては、仕事で鹿児島まで出かけます。
ネットでは福寿草の話がにぎやかです。
一人で行くんだったら時間をやりくりしてどこかの山に登るんだけど。
明日は偉いさんたちと一緒だからそれもできないし、、、、、

せめていい天気ありますように。
あまり見る機会のない鹿児島の山の姿だけでも見れたらいいな、


●2008.02.11・・・・経ケ岳南壁・つわものどもが夢の後
多良山系の最高峰「経ケ岳」の南壁に行ってきました。
ここには30年以上前に開拓されたルートが数十本引かれています。
もちろん当時は人工登攀としてのものでした。

ここにハンガーボルトで整備されたルートがあるらしいとの情報を得て登ってきました。
詳しくは別にレポートしますが、ほとんど朽ちかけたリングボルトばかりのルートの中に
1本だけハンガーボルトのルートがありました。

でも私の心には、朽ちかけたリングボルトから様々な声が聞こえてきました。
クライマーのコールの声、ジャンピングで岩を打つ音、、、、

今この岩場は、アプローチが不便と言う事で、いまどきのクラーマーには見向きもされません。
この日私はそれでよかった、と思いました。

この古いボルトや苔むした岩肌は、このままが似合うと思いました。
ツワモノどもの夢の後は、このままそっとしておきたい、そう思いました。


●2008.02.10・・・・2/8雲仙牛首岩

牛首岩ノーマルルート2ピッチ目を登るビリーちゃん


同じく3ピッチ目を上るギャルふたり?


午後は松ノ木ハングを登りました。ここはオールフリーならかなり手強いです。

松ノ木ハング2ピッチ目を登るmimimama

登り終わって懸垂下降するビリーちゃん

冬晴れの日曜日、雲仙牛首岩へ行きました。
この日の天気予報は快晴で気温も高かったので、南向きの牛首岩は暖かいはずだと思ったのです。
そしてそれは予想通り、ぽかぽか陽気の中でのクライミングとなりました。
今年は夏山合宿として、アルプスでのバリエーション山行を私たちの山の会「山人」でやろう
と言う声が上がっているので、それに向けて訓練の意味もありました。

私Jimnyとカミサンのmimimama、
それに佐賀の多久市からクニさん、ビリーちゃんコンビの4人でした。

午前中はマルチピッチの流れの復習をかねて、クニさん+ビリーちゃん、Jimny+mimimamaの
2パーティーでノーマルルートを登りました。
午後は、松ノ木ハングをmimimama+ビリーちゃん、Jimny+クニさんで登りました。
まだまだアルプスに向けての課題は多いです。ガンバ!


●2009.02.01・・・・オサイ観音
元亀二年(1571年)、有田の唐船城主松浦五郎境は
養父にあたる相浦の飯森城主松浦丹後守親を攻めようと計画。
これを知った丹後守恩顧の家臣山本右京は、
身重の妻お才と五歳の長男を連れ、雪の峠道を相浦へ注進に走った。
しかし峠に着いた時、お才は出産。
相浦方は右京の知らせで勝ったものの、お才は産後の出血がひどく帰らぬ人となった。

・・・・・・・・(林正康著・長崎県の山歩きより)

里の人たちは、このお才を哀れんで御堂を立てオサイ観音と呼んだそうです。
以後ここをオサイ峠と呼ぶようになったとか。

今もなお、安産の観音様として祈願する人が絶えないようで、
安産祈願のお札が下がっています。

また、この近くに隠居岳と言うピークがありますが、この山の名前は
壇ノ浦の合戦に平家側について敗れた松浦水軍が追っ手を逃れて、
この山の周辺に隠れ住んだという伝説に由来するのだとか。

私自身、この地をおよそ15年振りに訪ねてみましたが、
オサイ観音様はきれいにお掃除もされていて、
里の方たちに大事にされている様子が伺えました。
オサイ観音様へは歩いて来る以外方法はないので、
里の方たちの温かい心が伝わってくるようでした。

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