【Jimny徒然記】 2005年7月

 このページでは、私Jimnyの周りで起こったことや、
    日々感じたこと思ったことなどを徒然に綴っていきます。
    なにか不適切な表現や、間違った記述などがありましたら、ぜひご指摘ください。



【目次】

2005.07.22・・・・人に喜ばれる喜び
2005.07.11・・・・私のルート(mimimama)

2005.07.22・・・・人に喜ばれる喜び

先日、ある山岳会の方達と一緒に数日間を過ごすことが出来ました。
その中で、いろいろな事を気付かせていただきました。
その会の中でもそろそろ中堅の域に入りつつあるメンバーのお一人が
私との会話の中でこんな事を言いました。

「会長が以前私に、『リーダーも積極的にせんといかんぞ〜』って、言うんだけど私が尻込みしてたら、
 『山に登ればウレシイよな、自分がリーダーであってもそうじゃなくても山に登ればウレシイし、
 幸せな気持ちになるよな、だけどね、リーダーを引き受けて山頂に登った時のみんなの喜んでる顔を見れば
 もっともっとウレシイし幸せな気持ちになれるぞ。』・・・・私もぼちぼちリーダーをするようになって
 そんなことが少しづつわかるようになってきました。」

そんな会話を交わしました。

学校は夏休みに入りました。
小学校の時、通知表をもらって成績が上がっていたら急いで家に帰ったものです。
親に褒めてもらいたくて、、、、親の喜ぶ顔が見たくて、、、、、
親が喜ぶ顔を見ると、自分もウレシクなりました。

人は、ある意味、誰かに喜んでもらいたくてがんばれるのかも知れません。

祖母の沢の中での数日間で、仲間との連帯感や自然の中での満ち足りた思いの共有など、
お互いの存在が自分の中での喜びを何倍にも膨らませてくれる・・・・

それは一人で山に入った時の感動とは異質な、同じ思いを共有する喜びみたいなもの、、、
リーダーが喜びを与えるとか、そんな次元のことではなく、
仲間と一緒に困難な道のりを辿ったからこそ味わえる、ある意味それが山登りの醍醐味と言えるのかも。

メンバーが感想を記していました。

「人と人との信頼感?」そんな物を感じています
街の生活ではなかなか体験できない厳しい状況だからこそ生まれるものでしょうか。


山岳会で活動する事により、得ることが出来るものはいろいろあると思いますが、
たんなる技術や経験だけではなくて、山での思いの共有、連帯感、
そんなものも、よちよち歩きの私達の『山人』での山登りで感じてもらえれば・・・・・

それこそ、人に喜ばれる喜びとなるのかも知れません。



2005.07.11・・・・私のルート(mimimama)

今日、mimimamaさんがブツブツ言っていました・・・・・

「アリーナの緑ルートは私にとって特別なルートです。
 緑ルートは何度トライしても、最後から3手目がどうしても届かず、涙を飲んだルートなのです。
 緑を落としたい一心で、緑よりもグレードの高い黄色ルートにトレーニングのつもりで取り付いていたのです。
 そしたら黄色ルートを落とすことが出来ました。
 緑よりもグレードは高いルートを落としたのに、私はそんなに嬉しくありませんでした。
 やっぱり緑をきちんと落とさなくては・・・・・・・

 そんな思いでいる時、私よりもリーチのない『Oさん』から『落としたよ〜〜!』って、メールが入りました。
 友達の成功を素直に嬉しく思う一方で、
 『なんで先に行くのよ〜〜、私のルートなのに・・・・』
 って、イジイジしてるもう一人の自分もいるのでした。
 
 横でJimnyは言いました。
 『いいんでないの、、、自分のフィールドで自分らしくあれば、それでいいんでないの、、、』
 なんちゅう、能天気な事を言ってるのでありました。」

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 やっぱ、クライミングは、特にフリークライミングは、純粋なスポーツです。
 スポーツという事は競技です。
 優劣、勝ち負け、上手下手、、、、、そんなものが付いてくるものなのです。

 私(Jimny)は、小学生の時から徒競走が嫌でした。
 客観的に、しっかり順番が付くからです。
 私は中学高校とブラスバンド部でした。
 ブラスバンド部の優劣は聞く人の気持ちとか、好みとか、感性とか、
 数字とかでは判定できないもので決まります。

 私は、ファジーで、言い逃れできて、負け惜しみが言える、そんな世界で生きて行きたいです。

 私とmimimamaさんとは生きて行きたい世界が違います。
 でも、ここまで来た以上、とことん付き合うつもりでもいます、、、、フウゥ〜〜

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