【Jimny徒然記】 2005年4月

 このページでは、私Jimnyの周りで起こったことや、
    日々感じたこと思ったことなどを徒然に綴っていきます。
    なにか不適切な表現や、間違った記述などがありましたら、ぜひご指摘ください。



【目次】

2005.04.23・・・・女性、50〜60歳代、経験5〜10年
2005.04.19・・・・三俣山、思いがけなくマンサクに会いました
2005.04.11・・・・高みを目指す
2005.04.07・・・・軽量化
2005.04.04・・・・岩屋山

2005.04.23.・・・・女性、50〜60歳代、経験5〜10年

山での事故の統計からみると、事故が比較的多いのがこの層だそうです。
これは山岳会などに所属している人たちの統計なので、未組織登山者はまた違う結果が出るものと思います。
女性は子育てが一段楽する40代後半辺りから山登りを始める人が多く、
それから10年近くが経つ50歳代後半には体力の衰えが現れ始めるものと思われます。
その衰えから来る山行中の疲労に起因する転倒事故などが増えてくるものと思われます。
それは主に下山中だそうです。

山岳会に所属している人たちは、少しずつ着実にステップアップしていくので
事故のピークが、5〜10年後に来るのかもしれません。
未組織登山者は、一気に高い山(高度や難度ともに)を目指す傾向があるので、
事故のピークはもっと早くやってくるのではないかと思います。(私見です)
組織登山者は道迷いの遭難事故は少ないですが、未組織登山者は圧倒的に道迷いによる遭難事故が多いそうです。
地図とかコンパスを持たずに山に入る人が多いことからもそれは想像に難くありません。

山登りを続けていると、自分の加齢による体力の衰えにはなかなか気付かないものです。
でも確実に私達の体力は下降線を辿っていると言う事を忘れないようにしたいものです。


2005.04.19.・・・・三俣山、思いがけなくマンサクに会いました

4/17(日)は、「山人」の仲間と、くじゅう三俣山へ登りました。
満開のマンサクに会うことが出来ました。今年はやはり花が遅いですね。
標高1100m位のところでは、マイズルソウの花が咲き始めていました。
アセビはもう満開状態でした。
ミヤマキリシマの花芽も良く付いているようです。
それにシャクナゲも今年は良さそうですね。

今年の冬は遅くまで寒波が来たので、季節が少し後ろにずれているような感じです。
花の時期はいつもの年よりも遅いような感じです。

でもそのおかげで、この日は思いがけなく満開のマンサクに出会うことが出来ました。


2005.04.11.・・・・高みを目指す

仲間と立ち上げた「山人」なるよちよち歩きの山の会。
はたしてこの集まりが山岳会らしきものになるのか、それともお気楽山歩きグループとなるのか・・・
それは、メンバー1人1人の意識の問題だろうと思います。
メンバーそれぞれがなぜ「山人」に参加しようと思ったのか?
「山人」に何を期待して参加したのか?
そもそも自分にとって山登りとは何なのか?
そしてその山登りは「山人」に参加しないとできないことなのか?

まっ、そんなに難しく考えることもないのかも知れませんが・・・・

正統的な山岳会とは、「高みを目指す」ものなのだそうです。

「高みを目指す」

それは何もみんながみんなヒマラヤを目指すことではないと思います。
よちよち歩きの山の会にとっての高み、メンバー1人1人にとっての高み、
去年までは出来なかった山登りが実現できれば、それがその人にとっての高みだと思います。
昨日までは読めなかった地図が読めるようになった!
今まで登った事のなかった岩尾根を踏破することができた!
今まで経験した事のなかったテント泊まりを経験することができた!
それは、みんなみんな自分にとっての高みだと思います。

そして、高みを目指すためには訓練が必要になります。
いつも楽しい山登りだけをしていてはそれは無理だと思います。
雨が降りそうだから中止だとか、いろんな役目をさせられそうだから止めよう、とか、、、、

雨でも登ってこそ、雨中の行動が身に付きます。
食料係や装備係をするからこそ、軽量化の必要性とそのノウハウが身に付きます。

山岳会としての山登りを志すなら、嫌なことや気が滅入ることも消化していく必要があると思います。
楽しいだけの山登りをしていては、高みはいつまでもはるか彼方のままだと思うのです。

でも勘違いしてほしくない事は、仮に凄い山登りができたとしても、
その凄い山登りをしたこと自体が高みに立てたことではないと言うことです。
凄い山登りは結果オーライでも出来ることが多いです。
でもその山登りが本当に自分の実力で成しえたものなのか、どうか。

陸上競技は、100mを12秒でしか走れない人には、まぐれでも10秒台で走る事は無理でしょう。
でも山登りは、冬山の経験がない人でも、そして4本爪のアイゼンしかなくても
コンデションさえよければ、そして幸運に(?)恵まれれば、冬の八ヶ岳に登れてしまうこともあり得ます。

高みを目指すとは、高みを目指せる力を付けると言うことなのです。


2005.04.07.・・・・軽量化

あなたのザックの重さはいつも何kg位ですか?
ある程度以上になると、ザックの重さと山の楽しさは反比例していく様な気がします。
私なんかは、15kg位がその線引きのラインのように思います。
15kg位までならそこそこ山を楽しむ余裕もありますが、それを越えると担ぐこと、前進する事に精一杯で
山を楽しむ余裕はないように思います。
でも、その苦しみそのものが山の楽しみでもあるというご意見もあるでしょうが・・・・・

山の雑誌にこんなコラムが載っていました。

「山用具は、その機能を損なわないかぎりにおいて軽い方がいいに決まっている。
 軽量化の工夫はいろいろいわれているが、どんな山行にも必要最低限のものがあり、
 まずそれら必携品のなかでより軽いものを探すのが手っ取り早い。
 アイゼン、ピッケルもチタン製を使う。
 お金はかかるが装備の重さのせいで敗退してまた出て行く費用を考えたら安いものだ。
 
 ぼくたちが以前より重さに厳密でなくなり、パッキングがいい加減になったのは、
 車山行が主流になったせいもある。
 どうせ現地までは車だから、とりあえず必要と思われるものはみんな、ついでにあれもこれもと、
 出発前の吟味がおろそかになっている。
 そういわれてみればたしかに、車に集まってくる仲間はぼくも含めてみなたいてい、
 大きなセカンドバックを肩に下げている。
 昔、電車で通っていた頃は、いつもすっきりザックひとつだったはずなのに・・・・・

 要は、軽いものを手に入れたらそれでよしではなく、なおかつ山行のたびの荷物の吟味が
 とても大切ということなのだろう。」

 ・・・・・・・そんなコラムでした。

そのコラムを読んだ数日後、長崎市内のアリーナにクライミングに行った時、ある先輩と話をしました。
その方は春の穂高で滑落事故に遭遇した事があり、その時意識をなくした事故者のザックを見て
その事故者のキャリア・力量が判断できたそうです。
確かに装備の中身やそのパッキングで、登山者のキャリアはある程度の正確さで判断できそうです。

私自身最近はほとんどの場合車で登山口まで乗りつけるので、ついつい荷物は多くなりがちです。
今度、バスか電車を使った山行をしてみようと思っています。
ザックの中身が少し変わるかもしれません。


2005.04.04.・・・・岩屋山

昨日の「郡岳」はイマイチすっきりしないお天気でしたが、今日は雲ひとつない青空だ。
今日も仕事は休みだし、近くの山にでも出かけるか・・・・・

ということで、今日は長崎市内の山「岩屋山」に登ってみました。
と言っても一番お手軽コースの警察学校上まで車で上がってのコースです。

下山後は帰り道にあるアリーナでクライミング練習をしたかったのでこのコースにしました。
平日でもいつも賑やかなはずの山頂には、数人がいただけでした。
鶴の北帰行を双眼鏡で探している人や、お孫さんを連れたおじいさんとお嫁さん(娘さん?)の3人パーティー。
後からは、岩屋山の常連さんとおぼしき単独の人たちが登って来る。

山頂の縁の長崎市内が見渡せる場所で、お昼を広げました。
ポカポカ陽気に誘われて、つい昼寝をしてしまいました。
下山してから、アリーナに立ち寄り1時間ほどクライミングをして帰宅しました。

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