【Jimny徒然記】 2005年1月

 このページでは、私Jimnyの周りで起こったことや、
    日々感じたこと思ったことなどを徒然に綴っていきます。
    なにか不適切な表現や、間違った記述などがありましたら、ぜひご指摘ください。



【目次】

2005.01.29・・・・三つ山へ
2005.01.27・・・・高めあう仲間
2005.01.23・・・・雲仙へ、、、山好きとは山で会う
2005.01.15・・・・愛犬「ミミ」との別れ
2005.01.09・・・・今年の初クライミング
2005.01.07・・・・私の山道具その@「テクニカの登山靴」
2005.01.03・・・・思いやり

2005.01.29・・・・三つ山へ

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今年は久しぶりにどっか雪山に行きたいなあ〜〜という話がチロホラ・・・・、
とりあえずトレーニングだけでも、と言う事で、冬の装備を用意して近くの三つ山に出かけました。

今日のルートは結構な傾斜があるのでフラットフッティングでのアイゼン歩行の練習にもってこいです。
登りながら耐風姿勢の練習をしたり、山頂広場で滑落停止の練習などをやりました。
下山は、方向転換のやりかたなどを勉強しながら下りました。

はてさて、今日の成果を今シーズン中に発揮する機会があるのでしょうか・・・・・・


2005.01.27・・・・高めあう仲間

山に登るには、体力が必要です。
途中で動けなくなったら大変です。
タクシーは来てくれません。

山に登るには、知識が必要です。
過不足ない装備を選ぶ知識や、登る山についての知識などがなければいけません。

山に登るには、技術が必要です。
無理なく無駄なく歩ける技術、ルートを読む技術、天候を読む技術、
危険を察知しそれを回避する技術、万一の事態に対応できる技術、

でもそれはどこで身に付ければいいのでしょうか・・・・
山の本などで独学する? ガイドさんの講習会? 山岳会に入る?

私は山を始めてから10年ほど単独山行をしていました。
単独でもいろんな山に行くことができました。
その後、労山系の山岳会に入りました。

単独での10年間より、山岳会での1年の方が私は山に関して成長したと思います。
都合で再び無所属になって数年経ちました。
相変わらず山には仲間と出かけています。
楽しいです。
でも楽しいだけです。

自分自身、体力、知識、技術が、ちっとも伸びていないように思います。
この間、目いっぱい山に向かえない個人的な事情もありましたが・・・・

やはり、自分と同じ意識で切磋琢磨する仲間がいないと人間はダメなようです。
お互いを磨きあい、高めあう、そんな仲間が・・・・・


2005.01.23・・・・雲仙へ、、、山好きとは山で会う

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*アルバム

天気予報から、雪景色が見れるかなあ〜〜と思い、mimimamaさんと二人で雲仙岳に出かけました。
ところが、少し冷え込みが足らなかったのか、霧氷は付いていませんでした。
雪はそこそこあったので雪景色を楽しむことが出来ました。
アルバムと、携帯で撮った動画ををアップしましたので、よかったら見てください。

今日は、懐かしい顔によく会いました。
朝霧山の会の重鎮の方達、昔お世話になった南稜山岳会の当時のリーダー部長のNさん、
年月は流れても、やっぱり山好きとは山で会いますね。
これからもきっと、山にさえ行けば懐かしい顔に会えることでしょう。
そして同じように年齢を重ねていくので、多分同じような山に登ることでしょう。
なんだか、同じ事に興味を持ちながら同じように年を重ねていく仲間がいる事は、
滅多に顔を会わせることがなくても、とても心強く、また、今の時代の居心地がいいような気がします。

なんだか意味不明の内容になってしまいました。
私が今日山で感じた心地良さをわかってもらえるでしょうか・・・・?


2005.01.15・・・・愛犬「ミミ」との別れ

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我が家には犬がいました。
名前を「ミミ」と言います。
1/14夕方、17年と1ヶ月余りの犬生を終えて息を引き取りました。
老衰でした。

最初に耳が遠くなり、最近は急に足元がおぼつかなくなり歩けなくなりました。
歩けなくなったので、家の中に入れて一緒に過ごしていました。
そのうち、食べ物を食べなくなり衰弱していきました。
この何日かは水も飲まなくなり、水を含ませた布を口に含ませて少しずつ取らせていましたが
それもできなくなりました。

そして、眠ったまま天国に旅立ちました。

ミミちゃんとは、たくさんの思い出があります。
ミミちゃんが若い頃はよく山に一緒に行きました。
その後、犬連れ登山の問題がマスコミやネットに取り上げられるようになり、
ミミちゃんとの山登りは止めました。

それまでは、地元の多良岳にはよく登りました。
私と二人で沢登りもしました。
でも、よくはぐれました。

行方不明になったことも2回ありました。
夜まで待っても降りて来ないので私は一旦自宅に戻りました。
翌朝登山口の黒木に行ってみると、民家の軒先に丸まって私を待っていました。

多良岳では私とミミちゃんの二人で蜂に襲われたこともありました。
私達と前後して登って蜂に刺された登山者達が数人入院すると言う事態になり、
新聞沙汰にもなりました。

そのときの事を、当時のアウトドア雑誌「ビーパル」に、私が投稿して掲載された文章がありますので、
「ミミちゃん」へのお別れの意味を込めて、ここに載せさせていただきます。

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   【多良岳ハチ騒動記】 *多分1990年頃だと思います

長崎県と佐賀県の県境にある多良山系は、地元の山好きが訪れる静かな山です。
山頂近くの金泉寺という所には、県営の立派な山小屋があり、いつも登山者で賑わっています。
去る8月23日の日曜日に愛犬ミミを連れて一人で出かけた時のことです。

登山口に車をとめて林道を歩き始めました。
夏休みの日曜日ということで駐車場はいっぱいです。
林道から山道に入る所で中学生くらいの男の子が耳の後ろを押さえてうずくまっていました。
30歳代の女性2人が手当てをしていました。
たいしたこともない様子だったのでそのまま通り過ぎ、
それから30分程歩いた所で、今度は大人10人子供5人位のズックに軽装のグループに出会いました。
すれ違う時に「途中でハチが出ますから、気をつけてください」と言われましたが、
たいして気にも留めずに歩き続けました。

水場の近くに来た時です。

毎日自宅の庭で、宿敵「アブ」と抗争を繰り広げている「燃える闘魂犬ミミ」が、
私の50メートル程前方で、いきなりハチと格闘を始めたのです。
ミミの周りに数10匹のハチが飛んでいるのがわかります。

と、思った瞬間、1匹のハチが私の顔面めがけて一直線に、
まるでスローモーションでも見るかのように飛んできました。

「あっ!来た!」と思う間もなく、私は数10匹のハチに囲まれていました。

「マムシで死ぬ人は3年に1人。ハチで死ぬ人は1年に30人。」
読んだばかりのアウトドア雑誌の記事が頭をよぎります。
「こんな所で死んでも、喜ぶのは保険が手に入る女房だけだ。死んでたまるか!」

汗を拭くために手に持っていたタオルで、必死にハチを払いながら私は走り出しました。
100メートルを20秒でも走れない私が、ガレ場の山道をカールルイス並みのスピードで走ったのです。
ハチはしつこく追ってきます。
払っても払っても体にとまります。
何箇所か刺されたようです。
痛みはそれほど感じません。
髪の中にも5,6匹入り込んでいます。
素手で掻き出しながら走りました。
後ろではギブアップした闘魂犬ミミが、助けを呼ぶ泣き声がします。

「許せ、俺には家族がいる!」
泣き声を振り切って、私は走りました。

300メートルも走ると、やっとハチも付いてこなくなりました。
私の体にしがみついている5,6匹のハチを払い落としていると、
しっぽを丸めた闘魂犬が敗走してきました。
落ち着いて来ると、体のあちこちが痛み出してきました。
8箇所を刺され、1箇所を岩で怪我をしていました。
痛みは数日続きました。

後で聞いたのですが、子供がハチの巣をイタズラしたそうです。

その後、我が家の「燃える闘魂犬ミミ」は、
アブが来ると、しっぽを丸めて犬小屋に逃げ込むようになりました。
    「オワリ」

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*ミミちゃんは山が好きでした。
 愛車のJimnyの後ろのドアを開けると、山に行くことがわかっているので
 飛び乗ってきて私に向かって早く行こうと吠え立てました。
 山に連れて行けなくなってからは、私が山に出かけるのをうらめしそうに見ていました。
 
 ミミちゃん、さようなら。
 そして、たくさんの楽しい思い出をありがとう・・・・


2005.01.09・・・・今年の初クライミング

今日は、アリーナカブトガニで今年初めてのクライミングに出かけました。
土曜日と言うのに、寒かったせいか、ほとんど人はいませんでした。
私、mimimamaさん、Y君、後から来たカップルの2人だけでした。

私は2週間ほど間隔が空いてしまっていたので、今日は初めからやり直しです。
最近やっていた課題は、今日はパスです。
今まで登ってきたルートで体を壁に慣らす事にしました。
それまで登れていたルートが登れなかったりで、やっぱりブランクを空けるとダメですね。

今回は、一緒に登ったY君のクライミングを動画で上げてみました。
登っているルートは「5.10b」の青ルートです。
ウィンドウズメディアプレイヤーで見ることが出来ます。
画像をクリックしてご覧下さい。
HPサーバーの容量の関係で、しばらくすると動画は削除しますので、ご了承下さい。

さあ〜〜、今年も登るぞ〜〜!


2005.01.07・・・・私の山道具その@「テクニカの登山靴」

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先日、多良山系の金泉寺まで登ってきました。
九州内でのこの時期(晩秋から春まで)の私の足元は、この何年かは写真にあるテクニカの登山靴でした。
現在はこのモデルは生産されていないようですが、
なんでも防弾チョッキに使われているケプラーとか言う繊維で作られているらしく、
丈夫で防水性も良いとのことでした。

足入れ感も良く、革の様に手入れも要らないので不精な私にはピッタリでした。
この靴で、阿蘇でアイスクライミングをしたこともありましたが、アッパーの作りもしっかりしているのか、
アイゼンバンドの締め付けも気になりませんでした。
防寒性も問題ありませんでした。

そんなお気に入りだったこの靴も、先日の多良岳登山の際、靴底の一部が剥がれてしまいました。
この5〜6年の間、この靴ばかり履いていたのでそろそろくたびれていたのでしょうか・・・・

他にも冬の九州の山で使える靴はありますので、この靴をどうしたものか悩んでいるところです。
使い込んできた山の道具は、使えなくなってもなかなか手放せませんよね。
自分と同じ山を歩いてきた仲間ですもん。
特に登山靴は・・・・・・


2005.01.03・・・・思いやり


今日、多良岳の金泉寺までハイキングに行きました。
黒木から西野越に登る途中の登山道は、去年の台風で崩壊した箇所があります。
崩壊したところには迂回路が付けられています。
その迂回路の道を案内する目印に黄色いテープが木の枝に付けられています。

そのテープをよく見てみると、木に直接巻かれているのではなく、
プラスチックの伸縮自在の紐のようなものを木に付けて、
そのひも状のものに黄色いテープを付けてありました。

ビニールテープを木に直接巻きつけると、木の成長に伴ってテープが木を締め付けることになり
木の成長を阻害してしまいます。

上の画像を見てわかるように、
そんな事がないようにと、1本1本の木に対する優しい気持ちを感じることが出来ます。

今日の山登りは、このやさしいテープを見ることが出来ただけでも幸せな気持ちになりました。。

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