【Jimny徒然記】 2004年12月

*このページでは、私Jimnyの周りで起こったことや、日々感じたこと思ったことなどを徒然に綴っていきます。
    なにか不適切な表現や、間違った記述などがありましたら、ぜひご指摘ください。



【目次】

2004.12.20・・・・弥五郎どん
2004.12.15・・・・山登りもオンサイトで、
2004.12.08・・・・里山
2004.12.07・・・・年忘れ

2004.12.20・・・・弥五郎どん

むか〜し、昔、今で言う宮崎の山之口町と言うところに、
「弥五郎どん」という、それはそれは大きな男がおったそうなあ〜〜
毎朝、尾鈴の山に腰掛けて、日向灘の水をすくって顔を洗うほどの大男だったそうなあ〜〜
見かけは怖かったそうじゃが、心はやさしい男じゃったそうな、

ある日のこと、村に大雨が降って谷に溜まった水で土砂崩れが起きそうになった時。
村の人は「弥五郎どん、弥五郎どん、村が流されそうじゃ、何とかしてくだされ」と頼むと、
「よか、よか、そんな事は朝飯前じゃあ、」と言って、
山から大きな岩をヒョイと持ってきて谷に置いたそうじゃ。
「こいで、崩れる心配はなかぞお〜、心配いらんぞお〜」と、弥五郎どんは何事もなかったように
立ち去ったそうじゃ。

またあるときは、おばあさんが薪を背負って坂道をフーフー言って登っておると、
「ばあさん、ワシが運んでやるぞ〜」と、言って、ばあさん共々担いでくれたそうな、、、、

そんなやさしい弥五郎どんも悪さすることもあって、
村の衆が困るところに石を置いて、「この石をどけてほしかったらワラジを百足作るんじゃあ〜」と、
難儀な事を言ったりしたそうじゃ。
それでも村の衆は、いつも世話になってる弥五郎どんの頼みなので、
せっせとワラジを編んだそうな。

この事から、このあたりでは、無理難題を言う事を「ワラジ百足」と言うようになったそうじゃ。

そんなやんちゃなところもあった弥五郎どんじゃが、
亡くなった後も、村の人からは尊敬され親しまれて、今でも「山之口弥五郎どん祭り」として
人々の心に残っておるのじゃそうなあ〜〜
 
                           
* 「弥五郎どん」は養老四年(720)の「隼人の乱」 が起きた時の南九州の支配者、
 隼人族軍の首長であったとされている。  山之口町商工会HPより

*上記徒然記は、ラジオ番組「九州沖縄昔物語」からのものです。

2004.12.15・・・・山登りもオンサイトで、

先日、くじゅうの黒岳に登りました。
私が山登りを始めた頃、黒岳の縦走(男池〜高塚〜白水鉱泉)は難路中の難路で、
いつか力をつけて歩いてみたい・・・そんな憧れのコースでした。
男池から天狗や、男池から高塚までは何度か登りましたが、
その先の縦走路に踏み込んだのは、山岳会に入っていろいろな勉強をしてからの事でした。

当時の黒岳縦走は、コースが不明瞭と言うことが一番の課題だったように思います。
地図とコンパスがしっかりできて、ルートファインディングができることが前提でした。
それは今も変わらないことだとは思いますが・・・・どこの山でも。

私は、初めての山に登る時はいろんな資料で調べてみて、
この山に登るのにはどれほどの体力、技術、経験、その他のものが必要なのかを判断し、
それを自分に身に付ける過程を経て出かけるようにしています。

今は、ガイド本だけではなくネットで調べればかなりの情報が得られます。
ただ、ネットの情報は製作者の主観のウェートが高くなりますので、あくまでも参考にしかなりえません。
ネットの情報だけで山やコースを判断する事はとても危険だと、私は思います。

そうやって情報を揃えて自分なりにその情報を消化して、
そして初めての山やルートにチャレンジする事になります。

私が自分の山登りで、ささやかながら自分なりに誇りにしていることがあります。
それは、自分の中で暖めてきた山やルートは自分の力で登ってきたということです。
人に連れて行ってもらうのではなく、
自分で調べて自分で判断してトレーニングをして自分の力で登ってきました。

クライミングで言うところの「オンサイト登山」です。
事前に調べるので、正確には「フラッシュ登山」という事になります。

もちろん危険も伴いますので、自分の力を正確に客観的に見極めることが大事です。
そして、自分の力を超えていると思えば、
先輩やガイドさんにお願いして、連れて行ってもらう事になります。

でも、自分の中で大事な山やルートは、できるだけ自分の力で登りたいものです。
その方がきっと大きな感動を得られるはずですから・・・・


2004.12.08・・・・里山

今日は、自宅からすぐ近くの山に登りました。
いわゆる里山です。

山頂からは長崎市内が一望に出来ます。
すぐ近くには、女子大もあります。
その隣には、被爆者の施設「恵みの丘長崎原爆ホーム」があります。
山全体は植林と二次林で、昔から里の人たちの暮らしと密接に繋がっていた事をうかがわせます。

そんな里山も、最近は人々の暮らしと繋がる事は少なくなってきたようですが、
市民の癒しの場としてその存在が高まっているようです。

私が住む長崎市圏では、岩屋山がそんな山の代表格のようです。
岩屋山には、毎日登る人や、1年に600回登ったという人、1日に4回登ったという人、
わざわざ山頂にテントを担ぎ上げて一夜を明かす人、、、、、、、
正月のご来光には、たくさんの登山者で賑わうそうです。

今日登った帆場岳もそんな里山のひとつです。
岩屋山のように市街地から歩いてアプローチできる程便利ではないので、
やや登山者の数では岩屋山に一歩を譲りますが、山頂からの展望では岩屋山にも引けを取りません。

なにより、山頂の明るい佇まいがいいですね。
大きなアンテナが少々目障りではありますが、
我々もその恩恵に預っている身としては文句は言えません。

岩屋山が長崎の町を西から見るポイントだとすれば、
この帆場岳は長崎の町を東から見るポイントと言えます。

山道にゴミひとつ落ちてない事を見ても、地元の山が市民に大事にされていることがわかります。


2004.12.07・・・・年忘れ
先日、我が家でささやかな忘年会なるものをしました。
都合が付かない人もいて、参加者は「ためいきさん」、「花散里姫」、「まっちゃん」、「ゆきちゃん」
それに初参加の「O崎さん」に、mimimama、Jimnyでした。
それぞれ自分の好みの飲みものとつまみを一品、それに忘れちゃいけないシュラフ持参で参加です。

まっちゃんと花散里姫が、珍しい人参の葉っぱのてんぷらなるものを作ってくれましたが、
これがなかなか美味で、ビールによく合いました。

山のキャリア豊富なO崎さんの話(日本の山の話はもちろん、ヨーロッパアルプスの話まで)に
みんながあっけに取られるのよそに、ゆきちゃんは横でにこにこしてるだけ・・・・・
若くて可愛いから許すのです、おじさんは・・・(^◇^;

都合で解散してしまった状態の旧Jimny倶楽部も今年はいろんな事がありましたが、
なんとか事故もなく今年も終えそうです。
今日集まってくれたのは、現在ハイキングに限定して行なっているクラブに参加しているメンバーでした。

来年は、そうしたメンバーのためにも、
きちんとした形で山を楽しんだり勉強したりできるグル−プを作れたら・・・と思っています。

なにはともあれ、自分自身山抜きでの日々は考えられないようなので、
いい気持ちで山と関わることが出来る形を目指してみたいと思っています

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